KOKIAの『ありがとう…』を聴いていた。
「もしももう一度あなたに会えるなら たった一言伝えたい ありがとう ありがとう」
亡くなった父親に重ねる。
希死観念のある私は、彼に会っても「ありがとう」と言えない。
産み育てた事に感謝出来ない。
将来、安心が訪れた時に想うかもしれないが、それは本質じゃない気がする。
話を横道に逸らす。
私の母親は、私がニコニコしていないとヒステリックになる。
人間は24時間365日ハッピーではない。母親の前では喜怒哀楽の「喜」しか許されず、ひと時の憂鬱も認められない。
私はこれが辛い。
閑話休題。
父親は「ありがとう」と言えない今の私に対して何と言うだろう。
まず私は彼の性格や人間性をあまり知らない。
ただ、肌感覚から私をありのまま愛してくれていた事、そして並み以上の思慮深さと感受性を持っていた事を感じている。
私は妄想する。
彼は何と言うだろう。
いや、私なら何を伝えるだろう。
「不幸でもいい。頑張って生きてるじゃないか。」
毎日の、優しさが能力不足で過ちになり、自殺との綱引きにギリギリ勝ちながら、社会にコミットする必死な頑張りを褒めてほしい。
不幸でもいいと、酸いも甘いも底知れぬ心痛を経たあなたに言ってほしい。それは私にとって赦しと抱擁だから。
ありがとう。
猫を撫でながら。