その時の自分

文章を書くのがあまり好きではない。
まだ不完全な思考をピン留めして、そのまま止まってしまう気がするから。
といって思考が流れてても堂々巡りだったり。

断定的な事を書いてしまうと脳が「確定」と勘違いして思考を止めてしまう、めんどくさい。
「〜気がする」とかに留めておいた方が自分に誠実だなと思う、「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」みたいな。

断定しない態度が村上春樹作品の好きなところ、主人公に対して「おっ、こいつ信用できそう」と思えて読み進む。

むしろ「これはこうだ」と言われたり書かれたりすると騙されまいと警戒してしまうし、断定しちゃう人バカだなあと思う。
だって物事は両義的だし、もっと複雑だと思うし。諸行無常なり。

アウトプットすると思考が深化する。
ずっと使ってた頭のメモリも開放され、肩の荷がおりる。
今日は4つも記事を書いてだいぶ楽になった。

文章を書くのが苦手な理由に「かっこつけてしまう」のもある。
背伸びをして内面とかけ離れた文章が出来てしまい、自分を見失った焦燥感があとに残る。

素直な良い文章が書けたときは楽しいが、イキリ文しか書けないときは苦痛である。
虚飾の勘違いで疲れないために20代は黙っていた方が良いのではないか?(やはり村上作品にそんな描写があった気がする)


「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」

せめてもの誠意だが、羽目を外すことしばしば。
雨ニモマケズ」のデクノボーにはまだなれない。